スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。



スポンサー広告 | --/--/-- --:--



広島風お好み焼きの歴史

Wikipediaは凄いのお、何でもようしっとるねえ。

広島風お好み焼きの歴史が載っとったでえ。

以下引用----------------------

主食の米が不足した戦争時代に子供のおやつだった一銭洋食を元に野菜などを増やしたものがお好み焼きの始まり。近年では「ご当地グルメの代表格」ともいわれ[3]、2006年現在、広島市だけで800軒以上(1992年中国新聞調べからの推定)、広島県内には2000軒あるといわれる。1950年頃に発生した屋台街(後にお好み村になる)で開業したみっちゃんの井畝井三男と善さんの中村善二郎が広島風お好み焼きの元祖と言われている[出典 1]。その他、初期のお好み焼きの屋台の流れをくむ店は麗ちゃん、へんくつやなどがある。1950年当時のお好み焼きはねぎ焼きに近い物であった。

戦争や原爆で夫を亡くし、自宅の土間を改造して店を始めた女性も多く「〇〇ちゃん」という屋号が多いのはその名残りである。また、1963年に中国地方を襲った昭和38年1月豪雪で、中国山地の農村から一家で離村し、高度経済成長期の広島市に移住した農家の主婦が住宅地に開業した例も多い。現在も町の小さなお店に、老婦人が一人で焼く店舗が残るのはこの理由もある。昭和40年代頃までは、家から卵や肉をお店に持っていって入れてもらう事が出来た。現在は卵や肉は、基本で入っている場合が多いが、昔は野菜とそばだけ、あるいは野菜だけも珍しくはなかった。この頃の野菜だけの値段は250円程度だった。またお店で食べず、家に持って帰る場合は家から平らな皿を持っていった。今はプラスチックのトレーが普及しているが、当時はまだ無かったため皿は必需品だった。この皿に薄くソースを塗ってお好み焼きを置いた。まだラップの無い時代のため、その上から新聞で包んだので、持って帰ると新聞がソースだらけとなった。

広島地区での焼き方は、現在の広島風お好み焼きと同じく「のせ焼き」だった。当初は、肉が入っていない野菜の重ね焼きで、二つ折りにして新聞紙にくるんで提供されていた。キャベツや揚げ玉などが入れられていたが、そばは入れられていなかった。このクレープのような生地に二つ折りにして挟むというスタイルは現在でも残っており、円盤状のものに比べて場所をとらず、またやり方によっては、片手で食べることも可能になるので、焼きそばと卵焼きを挟んだものが広島県内のスーパーマーケットでよく売られている。

戦後の食料事情により、季節により供給量が左右されるネギを、単価が安く年間通して手に入りやすいキャベツに変えた(もやしは後年入れられる事になる)。昭和30年代になると、そば(中華めん)やうどんを入れるようになる。これはその頃発売されたインスタントラーメンの影響ともいわれている。当時は米はまだ高価な時代だった。

広島風お好み焼きも、最初の頃はウスターソースを使っていた。多くなった具に対応するためにそばを焼そばのようにソースで味付け、さらに表面にも塗っていた時期もあった。地区によっては、ソースはお好みソースに変わったが、作り方自体は今に残っている所もある。具材が増えたことでソースの味を濃くする必要があったためにソース会社に意見を出し、ソースを作る際に出来る沈殿液を使うようになり、さらに甘く味付けしたり、とろみを付けたりした事で、現在のお好みソースに発展した。

見栄えを良くするために二つ折りだったのを、折らずに円盤状にした。当初おやつ程度の物だったのが、主食に変化していった。そうして、1955年頃に現在の広島風お好み焼きになった。お好み焼きは突然完成形が出来たわけではなく、当時は屋台営業の為に他店の手の内が分かりやすく、互いに影響を与えながら現在の形に進化していった。

名前についても、当初は決められた名前はなかった。好きな具材を入れていく事で好み焼き、しかしこの名称では良くないのではとなり、頭におを付けてお好み焼きになったらしい。自然発生的に名前が付いた[出典 2] 。

-------------------------------------------------

みっちゃんが発祥じゃったんか!

今度広島行ったら絶対行かにゃイケンのお!



広島風お好み焼き | コメント(0) | トラックバック(0) | 2011/06/28 23:35



コメント

管理者のみに表示

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。